記憶のあやうさ
姉からこの間札幌に帰った時整理した写真の最後の数枚が到着しました。
古い写真の中に母の女学生時代の家族写真と思われるものがあり、今だ
生存している一番若い叔母に確認してもらっていました。
母は女ばかり5人姉妹の真ん中で、母のすぐ上の姉のS子姉さん(私から
見て伯母)はまだ20代なかばで、早逝しました。
その伯母について母は私たち姉妹(姉と私)が小さな頃から、「目鼻立ちの
はっきりとした背の高いスポーツウーマンで全国大会まで出場して、顔立ち
が〇〇ちゃん(私のことです)にそっくり」と、折に触れて話してくれました。
でも、写真を撮るのが特別な時だけの時代、早く亡くなったためその姿を
写真で見たことがなかったのですが、今回のお遺品整理で母の女学校
時代からの資料が出てきて、その中に伯母さんと思われる女性が。
写真で見た女学生、花嫁姿の伯母はちょっとふっくら、目鼻立ちがはっきり
していると言われれば、そうとも言えなくはないけれど、昨今ではごく普通。
何より私とどこが似ているのか??
いろいろな人に見てもらいましたが、ほぼ首を傾げてました。
それで思い出したのが、この間観た映画、「ベロニカとの記憶」。
この映画の底に流れるテーマは、記憶は装飾され、編集されるでした。
もしかしたら母にとっても一番仲の良かった姉(伯母)との記憶が、私と
姉(母にそっくり)に投影して記憶を無意識のうちに編集して似ていると
言ったのではと思えてきました。
母たちが一緒に30代、40代・・・と時を共に過ごしてこれなかった分、現実
以上に私がお姉さんに似ていると感じ、感じたくて私たちに話したのでは。
そんな風に感じられるようになりました。
母の若いとき、結婚前の写真は、父に比べ圧倒的に少ないですが、これ
だけは大事に取っておこうと思います。

断捨離はできません・・・

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